カルナック神殿を探索する

カルナック神殿を探索する

ルクソールのカルナック神殿複合体

世界で2番目に大きな宗教的複合体です。カルナック神殿は非常に広大で、30人のファラオによって建設が進められました。何世紀にもわたり信仰の場であり、世界最大級の宗教的建造物群とされています。もともとは小さな神殿でしたが、のちに巨大な複合体へと発展しました。カルナック神殿は人類にとって最も重要な文化遺産のひとつです。ルクソール観光では「カルナック神殿」という名前を何度も耳にするでしょう。

この考古学的遺跡はナイル川東岸のルクソールにあり、古代にはテーベと呼ばれていました。古代エジプト人にとって、この地域は大きな権威と尊厳を持つ聖地でした。エジプト旅行では、壮大な像や堂々たる建築に圧倒されるでしょう。その歴史的価値から、この神殿は多くの旅行者を魅了し、世界に類を見ない特別な遺跡とされています。

ファラオ時代のカルナック神殿

カルナック神殿の見どころは尽きません。神殿は4つの主要部分に分かれています。アメン=ラー地区、ムト地区、モント地区、イムホテプ神殿です。さらにいくつもの小神殿も含まれています。神殿に入ると、まずは「羊の参道」と呼ばれる大通りに出ます。これは参拝者を迎えるメインストリートで、全長87キロ、幅76メートル。両脇には羊の頭を持つスフィンクス像が1200体並び、頭部はアメン神を象徴しています。

カルナック神殿の宝物

入口の奥にはアメンの中庭が広がります。この広場は面積25万平方メートルにも及び、第18王朝時代に建設されました。テーベが首都となった時代です。特別なエジプト旅行では、この中庭でさらなる驚きに出会えるでしょう。左手には精巧な柱列が並び、ファラオたちの建築技術の高さを示しています。また、ベノゼムの像や、ラムセス3世の神殿も必見です。

さらに第18王朝時代の壮大な列柱廊、そして第19王朝に造られた「大列柱室」があります。大列柱室はおよそ5000平方メートルの広さを誇り、134本の柱が林立しています。そのうち22本は高さ10メートル、12本は高さ21メートルに達します。また、トトメス1世や女王ハトシェプストのオベリスクも見どころです。かつて神殿に入ることを許されたのは王族と神官だけでした。

巨大な石梁(アーキトレーヴ)は一つあたり20トンもあり、どうやって高所に持ち上げたのか、今も謎に包まれています。クレーンのような装置や砂の坂道を使ったのではないかと考えられています。

聖なる湖

神殿の中央には「聖なる湖」があります。古代エジプトの神秘が宿る場所です。ナイル川から遠く離れているにもかかわらず、この湖の水は動かず、干上がることもありません。およそ3000年以上も存在し続けています。トトメス3世によって造られ、今でも枯れることはありません。地元の人々は湖を訪れて祝福を求めます。ルクソールのナイルクルーズでは、この湖が縦80メートル、横40メートルに広がる様子を目にできます。

カルナック神殿の歴史

紀元323年、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世がキリスト教を公認しました。その3年後、息子が異教の神殿を閉鎖するよう命じ、カルナック神殿での祭儀は行われなくなりました。しかし、その後も重要な式典の場として利用されました。今日、イースターのエジプト旅行では、この神殿の壮麗さと建築の天才的技術を体感できます。考古学的価値は極めて高く、世界に唯一無二の遺跡です。

「カルナック」という名前の由来

「カルナック」という言葉はアラビア語で「村」を意味します。強固な城壁を持つ神殿はしばしばそう呼ばれました。古代には「アメンの館(バル・アメン)」や「ベト・アメン」と呼ばれていました。中世には「イブン・スート(選ばれし場所)」とも呼ばれました。古代エジプト人は、この神殿が建てられたテーベが創世の初めに現れた丘であると信じていました。創造神プタハはその丘に立ち、世界の創造を始めたと考えられていたのです。

彼らはアメン神がこの神殿を通して人々と交流すると信じ、特別な神聖さを与えました。そのため数多くの壮麗な建造物を築きました。カルナック神殿は今も古代エジプト文明の偉大さを伝える証であり、その名声は世界中に広がっています。

よくある質問

なぜカルナック神殿は有名なのですか?

誰のために建てられたのですか?

カルナック神殿とルクソール神殿は同じものですか?

これらすべての疑問に、ETB Tours Egypt がルクソール観光中に答えてくれます。

「エジプトでは経験豊富なエジプト学者があなたを導きます。綿密に計画された旅で、ファラオの国での体験は忘れられないものとなるでしょう。」

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