コプト・カイロにある聖バルバラ教会の物語とは何ですか?
聖バルバラ教会(コプト・カイロ)
聖バルバラ教会は、コプト教の歴史を語る素晴らしい場所です。カイロ日帰りツアーでこの教会を訪れると、心が落ち着き、安らぎを感じるでしょう。聖バルバラ教会は、バビロン要塞の東に位置するエジプトで最も有名な教会の一つです。近くには、ベン・エズラ・シナゴーグや、古代カイロツアーで訪れることができる数多くの歴史的なモスクがあります。この教会は紀元4〜5世紀にさかのぼり、エジプト総督アブド・アルアズィーズ・イブン・マルワーンの時代に建てられました。当初は聖キュロスと聖ヨハネを讃えるためのものでした。
この歴史的教会は幾度も破壊と誤った修復を受けました。ファーティマ朝時代、カリフ・アル=ムスタンシルの治世において、コプト人の大臣ヨハン・アッバが修復を担当しました。彼は裏切り者と非難されましたが、後に潔白が証明されました。カリフは彼に聖アブ・セルガ教会の再建を許しましたが、残った資材を使って聖バルバラ教会も建て直したのです。しかしこれはカリフの許可を得ていなかったため、激怒を買いました。結局教会は破壊されず、そのまま残されました。現在はカイロ観光ツアーで気軽に訪れることができます。
聖バルバラとは誰か?
聖バルバラの物語は、信仰と闘争の象徴です。彼女は3世紀、アジアに生まれ、美しい女性でした。彼女の家族は偶像崇拝者であり、父親は熱心な異教徒でキリスト教徒を激しく憎んでいました。しかしバルバラは星や太陽、惑星を観察し、創造主に祈るようになりました。やがて彼女は、エジプトを訪れていたキリスト教の学者オリゲネスに出会い、彼から福音を学び、心からキリストに従うようになりました。
バルバラは祈りに生涯を捧げ、多くの求婚者を拒みました。裕福な若者が結婚を申し込み、父親は喜びましたが、バルバラはこれを拒絶しました。ある日彼女は父に浴場を建てるよう頼みました。父が商用で出かけている間、彼女は偶像をすべて壊し、浴場や宮殿の扉に十字架を掲げました。父が戻ると激怒し、彼女を地下室に閉じ込めました。やがて総督の命令で彼女は宮殿に連れて行かれましたが、偶像礼拝を拒否しました。最後には父によってヘリオポリスで処刑されました。
この物語は、若き女性が信仰のために命を捧げた壮絶な闘いの記録です。聖バルバラ教会は、その殉教の証として、世界的に有名な歴史的聖地となっています。
聖バルバラ教会の建築
この教会は正教会の伝統的な様式で建てられています。全体は長さ約26メートル、幅約24メートル、高さ約15メートルの長方形で、2階建てです。内部は特に木工芸が有名で、シカモア材と象牙で作られた壮麗な聖壇があります。
教会には「最後の晩餐」の絵画、聖母マリアの小さなイコン、そしてキリストの十字架像が飾られています。聖壇は木製のドームに覆われ、4本の大理石の柱で支えられています。聖壇の後ろには、半円形の大理石製の階段式アムフィテアトルム(聖職者席)があり、7段の階段で構成されています。
北側の構造には祭壇がなく、小さな扉を通じて「聖バルバラの聖堂」と呼ばれる長方形の広間に出ます。この聖堂は何度も改装されており、彩色された彫刻木枠が特徴です。また、聖ユリアヌスや聖ダミアナを祀る小さな祠もあり、それらは黄金色に輝き、訪れる人々を魅了します。これら3人の聖人の名前は、太陽円盤のデザインの中に刻まれており、非常に巧妙な装飾がなされています。
聖バルバラ教会の訪問
この歴史的な教会を訪れることで、世界で最も重要な宗教的・考古学的地域の一つを体感できます。教会内部には柔らかな光が差し込み、珍しい美しい絵画や装飾を鑑賞できます。
教会を出た後は、「宗教の交差点」と呼ばれるカイロ旧市街を散策できます。そこには歴史的なモスク、古代のコプト教会、ユダヤ教ベン・エズラ・シナゴーグがあり、短時間で多くの宗教遺産を訪れることができます。
さらに、マムルーク朝やファーティマ朝の時代に建てられた歴史的な街路を歩き、カーン・アル=ハリーリ市場を訪れるのもおすすめです。この市場はカイロ最古のバザールの一つで、ファラオ、コプト、イスラムの土産物が揃っています。また、伝統的なカフェに立ち寄り、古くからの風習を味わいながらコーヒーを楽しむこともできます。
聖バルバラ教会とその周辺を巡るツアーは、エジプト旅行の中でも特別な体験となり、必ず思い出に残るでしょう。
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