ルクソール神殿

ルクソール神殿

ルクソール神殿

ルクソール神殿は、古代エジプトの最も壮麗で保存状態の良い遺跡のひとつであり、ナイル川の東岸に位置しています。この神殿は紀元前1400年頃に建てられ、当初は「イペト・レスウト」(Ipet Resyt)と呼ばれ、「南の聖域」という意味を持ちます。アメン神、ムト女神、そして彼らの息子ホンスを祀るために建立され、カルナック神殿と並ぶテーベ(現在のルクソール)の宗教的中心地でした。

建設と歴史的背景

ルクソール神殿の建設は、アメンホテプ3世(紀元前1390~1352年)の治世に始まり、ラメセス2世(紀元前1279~1213年)によって完成しました。さらに後の王たち—トトメス3世、アメンホテプ2世、ツタンカーメン、アメンホテプ4世(アクエンアテン)—が、神殿のさまざまな部分を増築・装飾しました。

この神殿は主にアメン神と彼の妻ムト、息子ホンスに捧げられており、テーベ三神を称える宗教儀式の中心地として機能していました。

建築構造

ルクソール神殿は、エジプト建築の完璧な調和と象徴性を示す壮大な構造を持っています。主な要素は次の通りです:

  • 第一塔門(ピロン):高さ24メートルの巨大な塔門で、ラメセス2世によって建設されました。壁面にはカデシュの戦いの浮彫が刻まれ、ラメセス2世の勝利を誇示しています。

  • オベリスク:もともと2本ありましたが、現在は1本が現地に残り、もう1本はフランスのパリ、コンコルド広場に立っています。

  • 中庭(ラメセス2世の中庭):巨大な柱と神々の像に囲まれた中庭で、祭礼や行列の出発点として使われました。

  • アメンホテプ3世の列柱廊:高さ約16メートルの紙の茎を模した柱が14本並ぶ壮麗な列柱廊が続きます。

  • 列柱広間と聖所:内部には神々の聖域、儀式の間、王が神々と交信するための聖なる空間がありました。

オペト祭(オペットの祭り)

ルクソール神殿は、テーベで最も重要な宗教行事の一つである「オペト祭(Opet Festival)」の中心地でした。この祭りは毎年行われ、アメン神の像がカルナック神殿からルクソール神殿まで運ばれ、神と王の神聖な結合を祝いました。行列はナイル川沿い、またはスフィンクス参道を通って進み、音楽や踊り、供物が奉納されました。

スフィンクス参道

ルクソール神殿とカルナック神殿を結ぶ全長3キロメートルの「スフィンクス参道(Sphinx Avenue)」は、古代では儀式行列の通路として使われていました。この道の両側にはスフィンクス像が並び、神々への道を象徴していました。現在、この参道は発掘と修復が進められ、観光客が歩いてたどることができます。

神殿の後世の利用

ルクソール神殿は、時代を超えてさまざまな文化に適応してきました。ローマ時代には、神殿の一部がローマ皇帝を祀る礼拝所に転用されました。ビザンチン時代にはキリスト教の教会が建てられ、イスラム時代にはアブ・アル・ハッガー・モスクが神殿の壁の上に建設されました。このモスクは今でも現役の礼拝所として使用されています。

保存と修復

19世紀の探検家たちによって再発見された後、ルクソール神殿は多くの修復と保存作業を経てきました。エジプト考古学省とユネスコによる共同プロジェクトにより、神殿の彫刻や壁画の色彩が丁寧に修復され、その美しさが再び蘇りました。

現代のルクソール神殿

現在、ルクソール神殿はエジプトの最も人気のある観光地の一つであり、昼夜を問わず訪問客を魅了しています。夜には照明によって神殿全体が黄金色に輝き、幻想的な雰囲気を醸し出します。また、毎年開催される文化イベントや音と光のショーでは、古代エジプトの栄光の時代が再現されます。

まとめ

ルクソール神殿は、単なる遺跡ではなく、古代エジプトの信仰、王権、そして芸術の融合を象徴する永遠の記念碑です。カルナック神殿とともに、テーベの宗教的精神と建築の壮大さを体現し、今日でもその神秘と美しさを訪れる人々に伝えています。

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